2009年 06月 05日
地口「大黒はあったかい」補訂
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2007年 02月 06日付の当ブログ所載記事 地口行燈 #9の内容について、訂正と補足の必要が生じましたので、それについて改めてここに別項を立てることにいたします。



上記の記事では、北千住の地口行燈に書かれた「大黒わ(=は)あったかい」の元句を「大福はあったかい」として、その「大福」を《大福餅》ではなく《大福長者》のことではないかと記しましたが、やはりこれは《大福餅》と見るべきであることが明らかになりました。ここに前項の誤りを訂正させていただきます。

その根拠の第一は、本年の5月26日に、当該記事のコメント欄にYoshiさんからご教示を頂いた、篠田鉱造『明治百話』に載る記事です。本書の「横浜の茶焙師」と題する明治期の思い出話の中に、次のような一節があります。(岩波文庫による)

朝の門前は、夜鷹蕎麦、大福あったかい、稲荷ずし、おでん屋が市をなしていたが、帰りの門前には、牛の煮込み屋、鮨屋、餅菓子屋、日用品の諸商人、第一白米屋、酒醤油屋、呉服屋までが軒をつらねて店を張っていました。

この記事は、横浜の製茶場で仕事をする稼ぎ人の懐を目当てに、門前に臨時の店がひしめく場景を描いたものですが、そこに列挙された食べ物の名前の中に「大福あったかい」とあることが注意されます。これが現代のファーストフードにあたるものであることは明らかです。

第二の根拠は、『柳多留』百四十一篇(天保六年<1835>刊)に次の句が見えることです。

 大福のまくら詞はあつたかい    窓雨

ここに「まくら詞」とあるところから、当時は「大福」と「あったかい」が食べ物の名前として緊密に結び付いていたことが知られます。

これらの事実から、幕末から明治に至る時期には、大福餅について「大福(は)あったかい」という決まり文句があり、上掲の地口はその「大福」をもじって「大黒」としたものであることが判明しました。またこのことから、標記の地口が生まれたおよその年代も知られるわけです。

ここに至る貴重な糸口を与えて下さったYoshiさんに、重ねて感謝いたします。
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by YOSHIO_HAYASHI | 2009-06-05 06:18 | 言語・文化雑考


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