2009年 08月 20日
学校給食のこと 【加筆アリ】
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上の画像は岡山の新聞に載った写真を拡大コピーしたもの。昭和26年(1951)1月に岡山市の鹿田小学校で撮影された給食風景です。



上記の小学校では、それまではミルクとおかずだけの"補助給食"だったのを、それにパンを加えた"完全給食"がこの時から始まったということです。

このころ私は小学五年生でしたが、私たちの学校でも「完全給食」という呼び名が使用され、給食の時間がとても楽しみだったことを覚えています。ただし、その中に一つだけ嫌なものがありました。

ネットのフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、戦後の学校給食の歴史が次のように記されています。

# 昭和22年(1947年)1月 主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食が開始される。
# 昭和24年(1949年)、ユニセフ(国連児童基金)から脱脂粉乳が贈られユニセフ給食がおこなわれた。
# 昭和25年(1950年)、アメリカ合衆国から小麦粉が贈られ都市で完全給食がおこなわれた。

上の記述に「脱脂粉乳」とあるのは、現在の粉ミルクにあたるものですが、当時のはそれとはとうてい比べものにならないほどまずいものでした。どうしてあんなひどいものを使ったのか不思議でしたが、当初はアメリカから生のミルクを運ぶ予定だったのが、船舶輸送では長持ちしないので、脂肪分を抜いて粉状にして運ぶことにしたことによるもので、当時の製法が不備だったためにそんな代物しかできなかったということを後に知りました。

当時、あれは家畜の餌にするものを給食にまわしたのだ、などともっともらしく言われていたのですが、どうやらそれは俗説だったようです。

その一件を溶かして作った"ミルク"の入ったアルミのバケツを、給食係が二人がかりで教室に運び、ヒシャクでめいめいの食器に注いで回ったものです。

ある時などは、なんとその中にジャガイモの煮たのが入っていたこともありました。

それでなくても嬉しくないミルクが、それに輪を掛けたような状態で供されたのを今でもはっきり覚えています。それでも当時の子供たちはあまり不平も言わずに平らげました。今こんな代物が出てきたら、さだめし親から抗議が殺到することでしょう。
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by YOSHIO_HAYASHI | 2009-08-20 18:14 | 昔話


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