2009年 09月 06日
「言語道断」ということば (3)
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「言語」がゲンゴと読まれるようになるのは、明治期に入ってからのことです。



安政6年(1859)年に来日したJ.C.ヘボンは、ヘボン式ローマ字の創始者としても知られる人物ですが、彼の編んだ和英辞書『和英語林集成』は、その初版が慶応3年(1867)に横浜で出版されています。

それには“GON-GO,ゴンゴ,言語”とあるだけで、「ゲンゴ」はまだ姿を現していません。さらに本書は明治19年(1886)の三版に至って大きな改訂が加えられますが、その時点でも「言語」に関する状況は初版とまったく変りません。

f0073935_44482.jpgf0073935_4443425.jpgf0073935_4444936.jpgところが、大槻文彦が文部省の命を受けて明治8年(1875)に起草し、同17年(1884)に完成を見た『日本辞書 言海』においては、「言語」に関して左の画像に見るような三項目が掲げられています。

ここには、すでに現行のゲンゴが姿を見せています。ただしその語釈に「げんぎよニ同ジ」とあるところから、ゲンゴはまだ傍流の位置にあったことが知られるとともに、「言語」の語釈がゴンゴの項目に施されていることから、読みの主流の座はまだゴンゴが占めていたことも見て取れます。

ちなみにゲンゴという読みが文献に登場する早い例は、『日本国語大辞典』(第二版)の引用する湯浅忠良編『広益熟字典』(1874年刊)の「言語 ゲンゴ モノガタリ」に見ることができるので、この読みが生まれたのは、およそこの頃のことであったと思われます。

つまりゲンゴという読みは、ゲンギョという漢音読みと、ゴンという呉音読みをふたおやとして、明治初期に誕生した"混血児"にあたるものです。しかしその後これが次第に勢力を伸ばし、ついにはゲンギョを廃絶に追い込みます。またもう一方のゴンゴも次第に消滅に向かい、わずかに四字熟語「言語道断」の中に逃げ込んだものだけが、かろうじて現代に生き残るという展開を見せるに至ります。  (この項終わり)

今朝は城尾ファミリーの親ネコと、いちばん活発な茶虎が姿を見せました。別の茶虎と黒も顔をのぞかせたものの、物陰に隠れて出て来ませんでした。
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  *撮影機材:PENTAX K-7 +SIGMA17-70mm f2.8-4.5 DC MACRO
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by YOSHIO_HAYASHI | 2009-09-06 07:17 | 言語・文化雑考


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