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2010年 03月 15日
シタダミからフゲシへ -ツィッターの話題から- (2)
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鳳至郡」が行政区画上の名称として歴史に姿を現すのは、大宝元年(701)に施行された大宝令に見えるのが最初。ただしこの時点では越前国に属したのが、養老二年(718)に越前国から分かれて能登国が生まれた際にその一郡となりました。

ところでこの「鳳至」は、前回記したように現在ではフゲシと称されていますが、古くからこのように呼ばれていたわけではありません 古辞書を調べてみると、この名称に関してはひとつの文献的問題が隠れていることに気付きました

次に掲げる画像は、承平四年(934)ごろに原本が成立した平安時代の古辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』、その二十巻本系に属する元和三年古活字版の巻五「国郡部」からのコピーです(勉誠社文庫23『倭名類聚抄』による)。
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ここに見える「能登国」の条には、この国についての概略とこれに属する四郡の名が示されています。その三番目に問題の「鳳至」の文字が見えますが、その読みを示す万葉仮名は「不布志」と記され、この辞書が編まれた当時はフフシの名で呼ばれていたらしい* ていることが知られます。

*【注】 このことについて、いささか疑わしい点のあることに気付きました。その問題は後で取り上げることにします。

ちなみに、この辞書の編者である源順(みなもとのしたがう)は、天元三年(980)に能登国の国守として赴任した人物。今回の記事にまつわる不思議な機縁を感じます。 (この項続く)

いよいよゼミのメンバーともお別れ。本日はその名残を惜しんで、このところ贔屓にしている富士山中湖セミナーハウスに一泊旅行に出かけてきます。それにつけても気になるのはお天気だけど、どうも明日は雨らしい。とうとう最後までわがゼミ旅行のお天気ジンクスは破れなかった・・・(泣&笑) ともあれ、行って参ります。

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*撮影機材:PENTAX K-7 +SIGMA17-70mm f2.8-4.5 DC MACRO

by YOSHIO_HAYASHI | 2010-03-15 05:33 | 言語・文化雑考


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