2006年 08月 21日
地口行燈 #7-5
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地口行燈の「かかさま」にちなむ話をもう一つ。



井伏鱒二が昭和12年(1937)に発表した、「『槌ツァ』と『九郎治ツァン』は喧嘩して私は用語について煩悶すること」という長くて奇妙な題の随筆があります。ここでは、彼が生まれ育った広島県福山市の草深い田舎を舞台に、両親の呼び方や他人の敬称をめぐる話題が展開します(引用は『井伏鱒二自選全集第一巻』<新潮社>による)。

私が子供のときには「オトウサン」「オカアサン」などと、文化的な言葉を常用した子供は一人もゐなかつた。さういふ都会的な用語はどことなく厳しい感じがして、また品性あるものとは見なされなかった。私が子供のときには各戸別に、父母に対して思ひ思ひに適当な呼称が採用されてゐた。大別すれば、その呼称には階級的区別が含まれてゐた。

オトウサン・オカアサンが「文化的」「都会的」な言葉である反面、「どことなく厳しい感じがして」、「品性あるものとは見なされなかった」という指摘には、後には普通に用いられるようになる両呼称に対する、当時の人々の拒絶反応ぶりが表れています。

作家によれば、このような呼称が定着したのは、「学校の先生たちが試みた農山漁村文化運動の一つの現れ」だったということです。

ところで上記引用後段に、父母の呼称には「階級的区別が含まれていた」とあるのは、家によって次のような相違があったことを指すものです。

 オットサン ・オッカサン(地主の家)
 オトッツァン・オカカン (村会議員・顔役の家)
 オトウヤン ・オカアヤン(自作農の家)
 オトッツァ ・オカカ  (小作人の家)

このような区別がある一方、その子の家の経済事情が好転したりすると、それまではオカカと呼ばれていた《母》が、にわかにオアカヤンになったり、あるいは一足飛びにオカカンに出世したりすることもあって、そのような"階級昇進"は、成金気分の親がそのように呼べと子供に言い聞かせたことによるのだろうと、作家は推測しています。

しかし彼だけは、それらのどれとも異なるトトサン・カカサンを使用するように仕込まれました。そのために、物心がつくにつれて、他人の前でそんな「義太夫などに出る」ような「古風な呼びかた」を用いるのが恥ずかしくなっていきます。

かつては敬度の高い《母》の呼称であったカカサマから転じたカカサンが、時代とともに古めかしいものになり、やがてはそう呼ぶように躾けられた子供からも嫌がられるようになった、そのようなことばの凋落ぶりを示すエピソードとして、この話には興味深いものがあります。
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*撮影機材:R-D1+Travenar90m/m f2.8
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by YOSHIO_HAYASHI | 2006-08-21 04:38 | 言語・文化雑考


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