2006年 10月 20日
今朝の散歩道から #12 - 浮世の果は・・・ - 【追記アリ】
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今朝もいつもの猫小路に仲良し三匹組がいます。



名刺代わりの効果いちしるく*、近ごろは私の姿を見ると駆け寄って来るようになりました。これはやはり"営業努力"の賜物でしょう。

その猫小路の先のT字路に抜ける緩やかな坂道を上る途中、コンクリート塀の上に、時折見かける猫がもう一匹、私が近づくのも知らぬ顔で視線を遠くの三匹に注いでいます。

性格がおっとりしているらしいことは顔立ちにも表れていますね。一緒に遊びたいのなら、もっと積極的に出て行かなあかんよ。他猫事(他人事=ひとごと。よって「ねこごと」)ながら、そう言って後押ししてやりたくなります。余計なお世話っ、と猫パンチを食らうかな。

ところで昨日のコメント欄に雀羅さんが推理を寄せて下さった、例の稲藁の一件が健在であることを確かめて来ました。今朝見たらそれが二本、そして明日は三本、さらに明後日は・・・というような事態を実は密かに期待していたのでしたが、そんな番町皿屋敷もどきの椿事が起きるはずありませんよね(^^;

でもそうやって増えて行って、しばらくぶりにそこを通ったら家が藁に埋もれていた、というような短編怪奇小説の結末も悪くないでしょ。

最後の写真はその小路近くで撮ったもの。この辺りの家々には、色とりどりの花々が植えられていて、通りすがりの人の目を楽しませてくれます。その中に、実に見事な赤芙蓉の花を咲かせている家があり、このブログにもいつだったか、その写真を載せた覚えがあります。( ここです)

つい数日前まで、その赤芙蓉がこの秋最後の作とおぼしき大輪の花を、渾身の力を振りしぼって咲かせてました。ところが今朝そこを通ると、すでに花の命を終えた無惨な姿をさらしています。それを見て、芭蕉連句のこんな付合を思い出しました。

  さまざまに品かはりたる恋をして    凡兆
    浮世の果は皆小町なり        芭蕉

                    (『猿蓑』所収歌仙「市中は」の巻より)
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* 【追記】
現代語の「いちじるしい」は、古くは「いちしるし」と第三音節が清音だったのが、中世後期以降それが濁音化し、さらに活用形式もク活用からシク活用に変化した形を受け継ぐものです。したがってその連用形は、現代語「いちじるしく」であるのに対して、古語では「いちしるく」の形を取ります。
誰かこれについてもっと掘り下げてみませんか <ゼミ生諸君

*撮影機材:R-D1+NOCTILUX-M50mm f1.0 (2nd generation)
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by YOSHIO_HAYASHI | 2006-10-20 07:40 | 身辺雑記


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