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2006年 12月 07日
大阪洒落言葉#3 -へびあし(その3・ムチュウ)-
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             -有明月-

「へびあし」を続けます。





4)鼠六匹で、[むちゅう]や。

「むちゅう」を「六匹(=む)鼠(=チュウ)」と分析して、《夢中》の意を掛けたもの。

すでに「大阪洒落言葉#2 -おひらき-」(2006.11.29)コメント欄に紹介した「蟻が十匹猿が五匹で、ありがとうござる」と同趣向の洒落です。

「夢中」という漢語の本来の意味は、文字通り、①《夢を見ている間》ですが、そこからさらに、②《意識をなくすこと》、③《わからないこと》、と二転三転し、さらに現在用いられている④《何かに熱中して我を忘れている様子》の意を表すようになりました。④の意味が生まれたのは、どうやら近代以降のことのようです。

漱石の『吾輩は猫である』第2章(1905年発表)の中で、登場人物の水島寒月が、川の中から聞こえてくる女の声に誘われて水の中に飛び込むという珍妙な体験を語る場面に、次のような使用例があります。

 飛び込んだ後は気が遠くなって、しばらくは夢中でした。やがて眼がさめて
 見ると寒くはあるが、どこも濡れた所も何もない、水を飲んだ様な感じもしない。


ここに出る「夢中」は、上記②の意味に用いられています。下線部は、現代ならば「しばらくは気を失っていました」とでも表現するところです。漱石の時代にはまだ「夢中」をこのように用いることもあったわけです。

一方、鏡花の『歌行燈』(1910年発表)には次のような用例が見られます。

 (可厭<いや>だ、可厭だ、可厭だ。)と、こっちは夢中に出ようとする
 よける、留める、行違うで、やわな、かぐら堂の二階中みしみしと鳴る。


「痘瘡<あばた>の中に白眼<しろまなこ>を剥<む>い」た盲目の按摩<あんま>が、(可懐<なつかし>いわ、若旦那、顔は見えぬ。触らせて下され、つかまらせて下され、一撫<ひとな>で、撫でさせて下され)と言いながら手を伸ばしてくる、鬼気迫る場面。こちらの「夢中」は④の意味で、現代の用法に近いものですが、こちらも現代語ならば下線部は「夢中に」ではなくて「夢中になって」と表現するところ。こういう点に、わずかながら相違が認められますね。

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すっかり葉を落とした木々の枝は、早くも春のいそぎ《用意》を整えています。
最後の写真は「眼から火」ならぬ「眼から芽が出た」とでもタイトルを付けましょうか^^;
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*撮影機材:R-D1+NOCTILUX-M50mm f1.0(2nd generation)

by YOSHIO_HAYASHI | 2006-12-07 07:52 | 言語クイズ


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