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2007年 08月 15日
季語あれこれ -昼寝(5)-
元禄二年(1689)三月二十七日、『おくのほそ道』の旅に出た芭蕉と曾良は、四月二十二日に須賀川の旧知、相楽等躬(さがら・とうきゅう 本名伊左衛門)宅に宿泊し、当日から翌日にかけて三吟歌仙「風流の」の巻(『曾良随行日記』の記載による)を興行します。



正客にあたる芭蕉(「翁」)が一巻の発句として詠んだのは、『おくのほそ道』にも収められてよく知られた次の句です。

  風流の初めやおくの田植歌            翁

「発句は客人、脇は亭主」の習わしに従って、亭主の等躬がこれに脇を付けます。

   覆盆子(いちご)を折て我(わが)まうけ草   等躬

発句の「田植歌」、脇の「覆盆子」がともに夏の季語にあたります。

芭蕉が《白河の関を越えて奥州に入り、のどかでひなびた田植え歌を聞きました。これがこの地での最初に味わう風流でありますよ》と亭主への挨拶をこめた発句を詠んだのに対して、等躬はこれに《田舎なので何もございませんが、せめて野生のイチゴを摘んでささやかなもてなしの料といたしましょう》と脇を付けて挨拶を返しています。

等躬句「まうけ草」の「草」は、「種(くさ)」の異表記で、「かたりぐさ」とか「しぐさ」などのように、他の名詞の下に付けて《…(の)よりどころ》の意を表す語です。

さらにこれに続けて、相伴(しょうばん)の門弟曾良が第三を付けます。

  水せきて昼寝の石やなほすらん          曾良

この句は、《悠々自適》の意を表す中国の故事「石ニ枕シテ流レニ漱(くちすす)グ」を踏まえて、亭主のそのようなゆったりとした日常の暮らしぶりをゆかしく推し量ったものです。

ここに出る「昼寝」は、前回までに確認したように、当時は無季としてあつかわれました。したがって、夏季は発句と脇の二句で捨て、第三には季のない「雑(ぞう)」の句をあしらったと見るべきです。

その後の季の運びは、秋三句をはさんで前後に雑二句が配され、その後に再び夏が二句続きます。その様子を次に表示します。

 表 発句    
    脇      
    第三     雑
    四句目   秋
    五句目   秋(月の座)
    折端     秋
 裏 折立     雑
   二句目   
   三句目   

すなわち、発句・脇と夏季を二句続け、雑二句と秋三句の都合五句を隔てた後に、再び夏句を二句続けるという展開を見せています。

これは昨日記した「去嫌(さりきらい)」の同季「五句去り」の定めに従ったものですが、その場合に、第三に出る「昼寝」が、夏の季語ではなく無季とされていることが、式目の季のあつかいの上からも確認されるわけです。

by YOSHIO_HAYASHI | 2007-08-15 11:38 | 言語・文化雑考


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