2007年 08月 19日
季語あれこれ -浴衣(3)-
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今度は、「昼寝」と場合と同じように、蕉門俳諧における「ゆかた」の扱いを付合の面から見ていくことにしましょう。



元禄七年(1694)九月四日に興行された七吟五十韻「松風に」の巻の初折の表は、次のように付け進められています(カッコ内は季)。

 発句  松風に新酒を澄ます夜寒哉      支考 (秋)
 脇     月もかたぶく石垣の上         猿雖 (秋/月)
 第三  町の門追はるる鹿のとび越えて    翁  (秋)

当季の季語「夜寒」を用いた発句を受け、「句数」の定めに従って、脇「月」・第三「鹿」と秋を三句続けています。五十韻では七句目を「定座(じょうざ)」とする月が、脇の位置に「引き上げ」られているのは、月の出ない「素秋(すあき)」になるのを避けたからです。

この後さらに次の三句が続きます。

 四句目   着てはゆかたの裾を引ずる    雪芝 (◎)
 五句目 二十日とも覚えずに行うつかりと   惟然 (雑)
 六句目   この山借りて時鳥まつ        卓袋 (夏)

「ゆかた」を詠んだ四句目に続き、五句目が無季、六句目が夏と付け進められていきます。

『定本芭蕉全集』第五巻・連句編<下>(角川書店)の頭注では、四句目の「ゆかた」を季語と見て、この句の季を夏としていますが、さてどうでしょうか。

この付合では、上に見るように六句目に「時鳥」を季語とする夏の句があるので、四句目の季をこれと同じ夏として扱うと、一句を隔てて再び同季を続けたことになり、8月14日の記事で取り上げた「去嫌」に関わる難を生じます。

そこで指摘したように、蕉門俳諧には同季二句去りの例はありますが、一句去りの例は見られません。そもそも一句隔てて同じことがらを繰り返すというのは、連句の根幹に係わる致命的な疵(「打越」の嫌)を生ずることになります。しかし、上記四句目を無季の句と見れば何の問題もありません。

この一巻の付合は、当時の俳諧ではまだ「ゆかた」が夏の季語ではなかったことを式目の面から示しているものと言えるでしょう。(この項続く)

今朝は珍しいことに三匹の仔猫のうちでいちばん活発な寅絵の姿はなく、その代わり他の二匹が元気な姿を見せました。画像2・3・4(左)枚目の仔もメスであることが視認されたので、これからは寅美と呼ぶことにします。5(手前)・6・7枚目の仔はとても用心深くて近付けず、雌雄の別はいまだ不明です。
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 *撮影機材:R-D1+NOCTILUX-M50mm f1.0(2nd generation)
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by YOSHIO_HAYASHI | 2007-08-19 07:27 | 言語・文化雑考


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