2007年 08月 26日
歌仙「さみだれを」の巻をめぐって (2)
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大石田の一栄と川水は、ともに俳諧に心を寄せる人たちで、はるばる奥州を訪れた芭蕉たちとさっそく連句を巻きたかったのでしょうが、その日は都合により取りやめ。その事情は、「日記」に次のように記されています(以下、カッコ内に示す読みは私案)。



 其夜、労(つかれ)ニ依(より)テ無俳(はいなし)、休ス。

「労」字の読みについては、当時常用のイロハ分類体国語辞書『節用集』の一種で、「明応五年本」と呼ばれる辞書のツの部に収める「羸・疲・」の三字に、それぞれ「ツカル」の訓を施した例のあることが参考になります。また「日記」六月七日の条には「甚(はなはだ)労ル」と、送り仮名の「ル」を添えた例があり、そこでも「つかル」と読むべきことを示しています。したがって上記の箇所に出る「労」も、「つかれ」と読むのがよいでしょう。

「無俳」の「俳」は《俳諧》の意を表す省略表記。漢文の語順によって「無」を先に書いたもので、この二文字は「はいなし」と読まれます。

芭蕉と曾良は旅の疲れのために、大石田に着いたその夜は連句を興行せず、早めに床についたのでしょう。なお翌日の「日記」の記事によれば、その「労」の度合いは、芭蕉よりも曾良の方がひどかったらしいことも知られます。 (この項続く)
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 *撮影機材:R-D1+NOCTILUX-M50mm f1.0(2nd generation)
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by YOSHIO_HAYASHI | 2007-08-26 06:55 | 言語・文化雑考


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