2007年 09月 01日
歌仙「さみだれを」の巻をめぐって (終)
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歌仙「さみだれを」の巻が一巡した段階で、芭蕉が曾良を一人残して近くの黒滝に参詣に出かけたのはなぜでしょうか。



私はその理由を、曾良が旅の「所労」のために、付合を続けられない状態にあったことによるものと考えます。

さきに引用したように、前日の「日記」に「其夜、労ニ依テ無俳、休ス」とありましたが、この「休ス」に敬語を用いていないところから見て、これは芭蕉ではなく自身についての記述であることが知られます。

その「労(つかれ)」が、翌日に歌仙が始まってもなお残っていて、興行を続けるのが大儀そうに見えたので、曾良が第三を付け、川水が四句目を詠んで付合が一巡したところで、芭蕉は曾良にもうしばらく休んでいるようにと言い残して、他の二人の連衆と一緒に黒滝参詣に出かけた。うまいことに、連句の付合は曾良の付け番が来るまでに三人が一句ずつ付けることができるので、寺までの往復の間に付合を進めて一栄宅に戻り、しばらく休んだお陰で体調を回復した曾良にバトンタッチした・・・と、こんな推測をめぐらしてみたわけです。

なお、この四吟歌仙は、翌五月三十日に「満尾(まんび)」します。名残裏、花の座から挙句へ、次のような運びで終局を迎えます。

 五句目 平包あすもこゆべき峯の花     芭蕉
 挙句    山田の種をいはふむらさめ    曾良

芭蕉句の「平包(ひらづつみ)」は身の回りの品を包んだ旅の持ち物。翌日の峠越えを予測したような花の句です。曾良は、世話になった人々へのお礼の気持を挙句に込めて、めでたく一巻を巻き終えています。

「日記」には次のようにあります。

 晦日朝曇辰刻(たつのこく)歌仙終其辺へ被遊(あそばる)。
 (かえりて)物ども被書(かかる)。

歌仙終」の文字は行間に後から書き込まれたもの。連句興行が翌日にまで持ち越され、ようやく満尾したことを示しています。

翁、其辺へ被遊」とあるところから、芭蕉は歌仙満尾の後、この日もまたどこか近くに足を運んでいますが、曾良はこれにも同行しなかったことが知られます。彼の体調はまだ本格的に整ってはいなかったようです。それに比べると、芭蕉さんはタフなお方ですね。

外出から戻った後、芭蕉は何枚かの「物ども」を書いています。一栄に贈られた歌仙「さみだれを」の巻もその中に含まれていたはずです。

翌六月一日、芭蕉と曾良は二人の連衆に見送られて大石田を出発します。当日の「日記」には、「馬貳匹舟形迄送ル」 とあります。

馬を用意してくれたのは、猿羽根峠を越えて舟形に至るまでの道中、芭蕉と体調のすぐれない曾良を気遣う二人の志によるものです。 (終)

今朝は他の数匹に混じって、城尾さんと寅絵・寅美の二匹が姿を見せました。引っ込み思案の寅椎が出てこないのが気になりますが、急に寒くなったのでどこかに隠れているのでしょう。

以下の画像は、寅美>寅絵> 絵> 美の付け順(笑)です。
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*撮影機材:R-D1+NOCTILUX-M50mm f1.0(2nd generation)
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by YOSHIO_HAYASHI | 2007-09-01 07:24 | 言語・文化雑考


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