2007年 10月 18日
「りっぱ(立派)」 (その2)
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本来は、賞賛すべきことがらについて、その見事さを言うのに用いられる「りっぱ」が、現代語の「りっぱな犯罪だ」のように、それとは反対の性質を持つ物事についても使われるようになったのはなぜでしょうか。



「りっぱ」は、本来、すぐれているもの、よく整っているものについて用いられる言葉ですが、その《整っている》という性質は、すぐれているものだけでなく、《どこから見ても文句の付けようがない》状態にあるものにも備わっています。

そうすると「りっぱ」という言葉は、《誰が見ても、そうであることには疑いがない》という意味を表すのに用いることもできるはずです。

暴力をふるうのはりっぱな犯罪だ」という例文について、このことをあてはめてみましょう。

「暴力をふるう」ことは、けっして賞賛すべきことではありません。それが憎むべき犯罪であることは、誰の目から見ても疑いのない事実です。ところが、「りっぱ」がそんなふうに《そうであることは疑いがない》の意を表すようになると、ついには「犯罪」のような、賞賛とは対極の位置にあることがらに関して用いることも可能になります。

「りっぱな犯罪だ」は、そのようにして生まれた用法であり、それによって「りっぱ」の意味領域が広がったものと解釈することができます。
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  *撮影機材:R-D1+NOCTILUX-M50mm f1.0(2nd generation)
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by YOSHIO_HAYASHI | 2007-10-18 05:38 | 言語・文化雑考


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