2008年 04月 25日
花の名前 -ボタン(8)- 【加筆・画像追加アリ】
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古辞書に見える「俗」の注記のことに及んだあたりから、話がボタンから脇道のリンドウの方に逸れてしまいました。話題を再び本道に戻すことにしましょう。



すでに4月13日の記事に示したように、12世紀後半のころに編まれた『色葉字類抄』は、見出し字の「牡丹」の読みとしてボタン・ボウタンの両語形を示し、後者に対して「俗」という注記を施しています。このことから、当時はボウタンの方が世間一般に用いられていた語形であったことが知られます。

この花の名前は、10世紀末ごろの成立とされる『枕草子』にも登場します。

 あはれなりつる所のさまかな。台の前に植ゑられたりける牡丹などのをかしきこと。
                           (根来司編著『新校枕草子』本文による)

f0073935_1528118.jpgここに引用した本文は、このテキストの校注者が「三巻本」系統の写本にもとづいて仮名書きの原文を漢字交じりの形に改めたものですが、その注記によれば、この系統の多くの本や、それとは別系統にあたる「能因本」系の本文には、「牡丹」の箇所が仮名で「ほうた」と書かれてあり、さらに一部の本には「ほうたんほうたむ」の異文もあるということです。

左の画像は、その一つの例にあたる三巻本系の陽明文庫本『枕草子』の該当箇所で、「ほうたなとのをかしき事」とあります。

この「ほうた」という仮名表記は、実際にはボウタンと読まれたと考えられます。

古代の日本語には、ンの音を含む言葉は一つもありません。したがって、仮名が作られたころには、まだ「ん」の仮名は存在しませんでした。この仮名を使う必要がなかったからです。

当時の仮名をすべて網羅して作られた「いろは」47文字の中にも、この仮名は姿を見せません。最後の「ゑひもせす」の後に「」を加えて唱えるようになるのはずっと後の時代のことです。

ところが、中国から漢字とともに伝えられた漢語の中には、「牡丹」のようにンの音を含む語がたくさんあります。そのような漢語が日本語の中に定着して広く用いられるようになり、やがてンの音が日本語の音韻の中に新たに加わることになります。

しかし、そういうことになっても、初めのうちはこの音を表す文字がないので、実際はンの音を発音するところに何も文字を書かずにすませる、という表記のしかた(ンの無表記)が行われました。ただし、それとは別の方法として、この音に近いウやムの音を表す仮名で代用させることもありました。

後に、本来は「む」の異体字で、「无」の字から作られた「ん」の仮名を転用することによって、ンの音はようやくそれを表す仮名を持つようになりますが、「ん」の仮名がンの音を表すようになった後にもなお、語によってはンを表記しない習慣が伝統的に残りました。

『枕草子』の写本に見える「ほうた」は、当時のそのような表記習慣を示す一例と見ることができます。しかしそのことよりも、当時は「牡丹」をボウタンと呼んでいたことを示す証拠の一つになることの方が、ここの話題にとっては大事な点です。

今日の最初の画像は自宅の庭のフジの花。例年だと五月の連休のころに満開の時期を迎えますが、今年はそのころまで持たないように思われます。
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 *撮影機材:R-D1+NOCTILUX-M50mm f1.0(2nd generation)
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by YOSHIO_HAYASHI | 2008-04-25 08:07 | 言語・文化雑考


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