2008年 07月 28日
「あづさゐ」という語形は、いつごろまで用いられていたのでしょうか。 1603年に長崎で出版された『日葡辞書』には、"Azzusai"(アヅサイ)の見出しに「灌木状の或る草」という語義解説が添えられています。これに対して、もう一つの形として期待されるはずの"Agisai"(アヂサイ)の見出しは立てられておらず、当時はアヅサイが通用の形であったことを物語っています。 一方、元禄七年(1694)六月、芭蕉が膳所(ぜぜ)に住む門人曲翠亭に滞在した折に行われた、発句と脇のみの付合には、次の例があります。 菜種ほすむしろの端や夕涼ミ 曲翠 螢迯行(にげゆく)あぢさゐの花 翁 翁(芭蕉)の付句には、仮名書きによる「あぢさゐ」が用いられています。 【追記】===== これより早い慶安三年(1650)年に、貞門の俳諧師安原貞室が当時の京言葉のなまりを正すために編んだ『かたこと』にも次の記事が見えます。 一、 紫陽草(あぢさい)を oあんさい oあんじさい 当時の京都では、アヂサイに対して、アンサイ・アンジサイなどというなまった形が使われていることを指摘したものですが、アヅサイの形には言及がなく、「紫陽草」の振り仮名に標準の形として「あぢさい」を用いている点が注意されます。 ======== これらのことから、『日葡辞書』以後わずか五十年ほどの間に、アヅサイは急速にその姿を消してしまったものと思われます。 ただし、享保二年(1717)に刊行された『書言字考節用集』には、左の画像に見るように、「アチサヰ」「アヅサイ」両様の語形が漢字表記「紫陽草」の左右に示されています。 ここに出典として掲げられる「白文集(白氏文集)」は、さきに引用した『和名類聚抄』の記事をふまえたものと思われます。したがって上記のアヅサイは、そこからもたらされた古い語形を記したものであり、この辞書が編集された時代のものと見るのは妥当ではないでしょう。 「あづさゐ」は中世末期のころまで、相当に勢力を伸ばしていたものの、結局は「あぢさゐ」にその座を譲って消滅してしまったという興亡の歴史が、この花の名の背後にあったようです。ただし、その消滅の原因がどこにあったのかは、依然として謎につつまれています。 (この項終り) *撮影機材:R-D1+NOCTILUX-M50mm f1.0(2nd generation)
by YOSHIO_HAYASHI
| 2008-07-28 11:59
| 言語・文化雑考
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