2008年 10月 07日
「風呂敷」のこと(2)
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話題が風呂敷から少し離れます。



元禄二年(1689)五月二十八日、奥の細道の旅を続ける芭蕉と曾良は、出羽国(山形県)の大石田に立ち寄り、その地で船問屋を営む高野一栄宅に三泊の逗留をします。

到着の翌日、当地の庄屋で近くに住む高桑川水(せんすい)を交えた四人の連衆によって、歌仙「さみだれを」の巻が興行されます。まず芭蕉が正客として発句を詠み、これを受けて亭主の一栄が脇をつとめます。

 発句  さみだれをあつめてすゞしもがみ川    芭蕉 
 脇     岸にほたるを繋ぐ舟杭          一栄

この発句は、のちに『奥の細道』に収められ、そこでは、よく知られた「五月雨を集めて早し最上川」の句形に変わります。連句の席では、亭主のもてなしと、その座に連なる人々への挨拶をこめて、中七を「すゞし」としたのが、紀行文では、最上川を舟で下る折に詠んだものとして「早し」に改められ、この川の急流の本意をとらえた句に仕立て換えられています。

ところで、この歌仙の巻尾、名残裏五句目と挙句には、次のような付合が見えます。

 五   平包あすもこゆべき峯の花     芭蕉
挙句    山田の種をいはふむらさめ    曾良

芭蕉の花の句は、旅人の担う旅の荷を配して、それを背にした明日の山越えを迎えてくれるはずの峯の花への思いを詠んだもの。ここには奥の細道の旅を続ける芭蕉自身の姿が重ね合わされているように感じられます。曾良の挙句はこれを受け、山田の実りへの予祝をこめて、めでたく一巻を巻き終えています。

ここに出る「平包(ひらづつみ)」、これが現在の「風呂敷」にあたるものです。

上の画像は、蕪村が安永八年(1779)に描いた『奥の細道画巻』に載る、芭蕉と曾良の旅立ちの画面からの抜粋。随行者曾良の背に、この包が描かれています。 (この項続く)
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by YOSHIO_HAYASHI | 2008-10-07 05:30 | 言語・文化雑考


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