2008年 10月 14日
「風呂敷」のこと(6)
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上に掲げる画像は、「筑波書店古書目録 第85号」に、「村田了阿手蹟集」の見本として収める、自筆書簡写真の一部をスキャナ複写したものです。



先日研究室に届いた上記目録のページを繰っていた時、たまたま目下の話題の「風呂敷」の文字が目に飛び込んで来たので、これも何かの縁とばかり、さっそくそのくだりを引用させてもらうことにしました。

ここには次のようなことが書かれています。カッコ内に一部の漢字の読みを記し、改行箇所を斜線で示しました。

口上/
きのふはえりまき/御世話様に御座候/少々つぎあてもの/頼申度(たのみもうしたく)候まゝ/お加代/手すきにまゐりくれ/候やう御申付(おもうしつけ)可被下(くださるべく)候/
すこしもちもの候まゝ/中風呂敷御もたせ/可被遣(つかわさるべく)候/
今日は/にんじんとこんにゃく/御につけ可被下候
 (以下省略)

これを書いた村田了阿(りょうあ)は、江戸浅草黒船町の煙管(きせる)問屋村田屋の次男として、安永元年(1772)年に生まれ、天保十四年(1843)に 72歳で没した国学者。幼時から学問を好んで、商人になることを嫌い25歳で出家、下谷坂本の裏家に隠棲して学問と趣味の日々を送り、市井の学者としてその生涯を終えた人物です(了阿の経歴については森銑三「了阿法師とその生活」による)。

本書簡の発信年次は不詳ですが、冒頭に「えりまき」とあることから、某年冬にしたためられたものであることが知られます。この書簡の末尾には、宛名として「お理代」の名が記されてあり、内容から推測するに、この人はおそらく近くに住む姉か妹にあたる女性であろうと思われます。また上記の文中には「お加代」の名も見えますが、こちらはその娘などでもありましょうか。

いずれにしても、出家の身として生涯独身を通した了阿が、繕い物や食事など、身の回りの世話をしてくれる親族の女性にあてたもので、その質素な日常生活を垣間見る思いのする書簡です。 (この項続く)
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by YOSHIO_HAYASHI | 2008-10-14 04:38 | 言語・文化雑考


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