2008年 10月 15日
「風呂敷」のこと(7)
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昨日引用した了阿の「お理代」宛て書簡には、ほころびた衣類の「つぎあて」(→これもすでに死語に近いことばですね)を頼みたいので、「お加代」の仕事の手があいたら受け取りに来てくれるよう申しつけてほしいということが書かれていました。



《仕事の手があく》ことを「手すき」というのもゆかしいことばですね。元禄七年(1694)に興行された芭蕉・野坡の両吟歌仙「むめがゝに」の巻にも次のような使用例があります。

  家普請を春のてすきにとり付て    野坡  
    上のたよりにあがる米の直     芭蕉


野坡句の「春のてすき」は、春の農閑期を指しています。「家普請(やぶしん)」は《家の建築》、「(かみ)」は《上方》、「(ね)」は《値段》の意を表すことばです。
  
さて、さきの書簡の中で、了阿はさらに筆を継いで、「お加代」が着物を受け取りに来たついでに、別に持って行ってもらいたい物もあるので、それを包む風呂敷を持たせてくれるよう依頼しています。その大きさを「中風呂敷」と指定しているところが注意されます。

「大風呂敷」が布団を包むほどの大きさのものとすれば、「中風呂敷」はそんなには大きくないけれども、衣類などを何枚か重ねて包むには事欠かない程度のものであったわけですね。

当時の風呂敷には大中小のサイズがあり、それぞれが生活に欠かすことのできない包装用品であったことをわれわれに教えてくれます。

なお、この依頼の後にはニンジンとコンニャクの煮付けを所望する文言がありますが、ここにも彼の生活の一端をうかがうことができます。これはその日の晩飯のおかずをあつらえたものでしょうが、「今日は」と指定のことばがあるところからすると、了阿は「お理代」の家で食事をするのが常のことであったように思われます。

そんなに近いところにいるのなら、何もわざわざ手紙を書かなくともよさそうに思われますが、江戸の人たちは、現代人が携帯電話をかけるような気軽さで、近くの知り合いにも手紙を書き、それを使用人などに届けさせたりしていました。この了阿の手紙も、そういう体のものであったようです。 (この項続く)
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 *撮影機材:R-D1+NOKTON classic40mm f1.4 (S・C)
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by YOSHIO_HAYASHI | 2008-10-15 07:42 | 言語・文化雑考


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