2008年 10月 16日
「凡例」に嘉永六年(1853)の年号が見える『守貞謾稿(もりさだまんこう)』は、喜多川守貞が長年にわたって書き留めた民間の風俗全般にわたる詳細な記録ですが、その後集第四巻「雑器」の中に風呂敷に関する項目があり、そこに次のような記述が見えます。 夜具ノ類、江戸民間ニテハ火災多キ故ニヤ、市廛(してん)奉公人ノ用(もちふる)ハ、平日モ麻布(あさぬの)五幅ノ大風呂シキニ包ミ、夜ハ風呂シキヲ畳上ニシキ、直(ぢか)ニ其ノ上ニ夜具ヲ敷ク。 江戸の町は火災が多かったので、商家の奉公人たちは、昼は麻織りの大風呂敷で夜具を包み、夜はそれを畳の上に広げ、その上に布団を敷いて寝たのですね。火事が起きたときに、布団をすばやく大風呂敷く包んで避難するための備えをしていたわけです。 この記事は、幕末に至ってもなお大風呂敷が布団を包むのに使用されていたことを示すとともに、当時の人たちにとって布団はとても大事な家財であったことを物語っています。 ここに「五幅ノ大風呂シキ」とある、その「幅(はば)」というのは、織物などの幅を示す単位。これも『日葡辞書』の Fitofaba.(ヒトハバ) の項に、「木綿,布,織物,板やこれらと同様の物の幅を数える言い方.」とあるのにあたります。またその Fitofatabari. の項にも同様の注記があり、古くはハタバリとも呼ばれたことを示しています。 さて、この項にはまた次のような記事もあります。 風呂敷ト云ハ、浴室ニ方形ノ布ヲ敷テ足ヲ拭フ料トスル物故ニ、フロシキト号(なづ)ク。然(されど)モ、今世、平裹(ひらづつみ)ヲ風呂シキト云ニ依テ、浴室に用(もちふる)ヲ特ニ湯風呂敷ト云。 かつてはヒラヅツミの名で呼ばれた布がフロシキと呼ばれるようになったために、本来の役割を果たした浴室用の布の方が名前を変えて、ユブロシキ(湯風呂敷)と呼ばれるようになった経緯がここに記されています。 人間世界について言えば、先住者が新参者に打ち負かされてその座を明け渡す、あるいは、庇を貸して母屋を取られる、そういうことが言語の世界でもよく見られます。フロシキということばについても、このことがあてはまるわけですね。 (この項終わり) *撮影機材:R-D1+NOKTON classic40mm f1.4 (S・C)
by YOSHIO_HAYASHI
| 2008-10-16 07:13
| 言語・文化雑考
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