2008年 11月 15日
ヒシャク(柄杓) (8)
   ①         ②
f0073935_5333569.jpgf0073935_6343626.jpg左の①の画像は、この項(5)にも引用した、1241年の奥書を持つ漢字字書『観智院本類聚名義抄』の本文写真です。



ここには二つの俗字(見出し字右下の「谷」字は「俗」字の略体)を掲げ、そこに「チシヤ」と「チサ」の和訓が施されています。二つの語は同じ植物名を指すもので、そこに拗直両形の併存が認められます。

この字書の先行文献にあたる『本草和名』には「白苣」の見出し字に対して「和名 知佐(チサ)」とあり、本来は直音形で表記されたことを示しています。それが後世になると、チシヤの方が一般化していきます。

②の画像は、1597年に刊行された『易林本節用集』チ部草木門の一部。チで始まる植物関連の見出し字の中、「苣」に「チシヤ」の読み仮名が施されています。この時代の仮名表記には、一般にこの形が用いられるようになります。

ここまで見てきた例と同じように、「苣」は古くから チシャ と発音されていたと考えられます。それが「知佐」「チサ」と書かれるのは、当時の「さ」の音が [sya] に近いものであったからで、それが後に直音の [sa] に変化し、それまで用いられてきた [sya] の音が拗音として把握されるようになると、それを「シヤ」の仮名で写すようになっていきます。

 笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨    荷兮
   冬がれわけてひとり唐苣       野水
 (歌仙「狂句こがらしの」の巻)

芭蕉七部集の「冬の日」に収める野水の短句の「唐苣」は、トウチサと読まれますが、この読み方は後世に生じた語形で、古典などに見える「ちさ」の仮名どおりの発音、すなわち"文字読み"によって生まれたものと見るべきでしょう。

上の『観智院本類聚名義抄』に見える「チシヤ」は、拗音的表記の早い例であり、一方の「チサ」は伝統的表記を残す例にあたると見ることができます。このような新旧両形の表記が併存するのは、言語の過渡期によく見られる現象です。 (この項続く)
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by YOSHIO_HAYASHI | 2008-11-15 05:34 | 言語・文化雑考


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