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2006年 07月 31日
四酔会連句興行録(2006.07)
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昨日は国分寺労政会館で連句の会を開きました。集まった4名の連衆も前回と同じ顔ぶれ。黒糖焼酎「喜界島」で暑気を払いながら歌仙一巻を巻き終えました。通巻六十九番目にあたるその作品を以下に披露します。

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by YOSHIO_HAYASHI | 2006-07-31 11:15 | 身辺雑記
2006年 07月 29日
やはり(14)
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今朝の散歩の折に、以前にこのブログに写真を載せたコノテガシワの前を通ったら、実が一粒地面に落ちていたので、それを拾ってきました。よく見るとすでに小さな杉の葉の形をした芽が顔をのぞかせています。これをうまく育ててみたいので、これから折を見てその経過を報告します。

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by YOSHIO_HAYASHI | 2006-07-29 11:36 | 言語・文化雑考
2006年 07月 28日
やはり(13)
f0073935_11571156.jpg中世の文献に「やはり」の第二音節がワ行に転じた「やわり」の例が見えることを、「やはり(9)」の項で触れました。

このように、いったんは語中尾のハ行音がワ行に転じた形跡があるのに、現代ではそれがハ行音の形を取っているものとして、すでに「すあま」の項で「ひはだ(檜皮)」「けはい(気配)」の例を取り上げましたが、「やはり」もまたこれに類するもののように見えます。

そこでは、このような現象が起きる原因として、問題の語が日常語の世界からいったん姿を消して廃語となった後に、何かのきっかけで文献の中からよみがえった際に、その仮名表記にもとづいて古形が復元される結果を生じたということを想定しました。また、その際には漢字表記もこれを支える要因となることにも触れました。

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by YOSHIO_HAYASHI | 2006-07-28 11:56 | 言語・文化雑考
2006年 07月 27日
やはり(12)
f0073935_10395710.jpg昨日、若い世代の日常語では「やっぱり」よりも「やっぱし」「やっぱ」が多く使われるということを書きましたが、最近の高校生くらいの年代の間では、別に「やっかし」の形も使われていることを知りました。

どうやらこれは、某人気タレントの「やっぱし」の言い間違いが始まりで、それがみるみるうちに若い世代の間に広まったもののようです。Googleで拾ってみると、イヤ、あるはあるは、掃いて捨てるほどの用例が検索の網にひっかかりました。

なかには、「やっかし」が「やっぱり」と混淆を起こして、うっかり「やっかり」と言ってしまった、などという 自省の記録まであります。

すぐに消え去る一過性の流行り言葉だとは思いますが、しばらく注意を向けて観察してみることにします。

ところで、「やっぱ」もまた若者に多く使われる語形ですが、これも「やっぱし」と同様、すでに江戸期の文献に登場します。

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by YOSHIO_HAYASHI | 2006-07-27 10:36 | 言語・文化雑考
2006年 07月 26日
やはり(11)
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現代の若い世代の日常語では、「やはり」「やっぱり」よりも、「やっぱし」あるいは語尾を省いた「やっぱ」の形が多く使われています。このような語形はごく新しい時期に生まれたもののように思われますが、実はそうではありません。

貞門の俳人安原貞室が編んだ『かたこと』(1650年刊)は、江戸初期の京都の言葉を中心に、ことばのなまりについて論じた書物ですが、その中に「やはり」を取り上げた次の一項があります(近代語研究会編『近代語研究』第三集による)。

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by YOSHIO_HAYASHI | 2006-07-26 11:59 | 言語・文化雑考
2006年 07月 25日
やはり(10)
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今朝の散歩道には雨上がりの霧が立ちこめていました。霧とヒマワリという取り合わせは、どうもミスマッチの印象をぬぐいきれません。早く太陽の下に輝く大輪の花の姿を見たいものです。

さて、昨日掲げた体系図の中には、「やはり」から転じた「やっぱり」と、「やはり」の転呼形「やわり」から生じた「やんわり」が含まれていました。

「やはり」と「やわり」が家系図の兄弟関係にあるものとすると、「やっぱり」と「やんわり」は従兄弟同士の関係にあたることになります。現代日本語の用法では、両者の血がつながっているようにはとても思えませんが、両者は本来血統を同じくする関係にあると考えることができます。

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by YOSHIO_HAYASHI | 2006-07-25 12:33 | 言語・文化雑考
2006年 07月 24日
やはり(9)
f0073935_6521945.jpg「このてがしわ」に長々と寄り道をしてきましたが、ふたたび「やはり」の問題に戻ります。これまでの流れは、本文右側のメニュー欄【タグ】語群中にある「やはり」の項目をクリックしてご覧ください。

前回の記事で触れたように、中世の文献には、「やはり」の強調形「やっぱり」のほかに、「やっぱら(かいで)*」「やっぱれ」などの語形も姿を見せます。これらはそれぞれ、「やはり」「やはら」「やはれ」に促音を添加させることによって、強調の機能を持たせたものです。

このような強調のしかたには、たとえば「がくり>がっくり」「どさり>どっさり」「ぴたり>ぴったり」などに見るように、一定の規則性が備わっています。

一方、室町・江戸期の「抄物(しょうもの)」類には、「やはり」の別形にあたる「やわり」も登場します(用例は『日国』・『時代別(室町)』「やはり」の項に載るものによる)。

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by YOSHIO_HAYASHI | 2006-07-24 07:06 | 言語・文化雑考
2006年 07月 22日
このてがしわ(児手柏) (12)
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後世に中国から渡来したヒノキ科の「側柏」に、本来は別の植物名であるはずのコノテガシワの名が付けられたのはなぜでしょうか。ここにはいくつかの原因がからんでいるものと思われます。

その一つは、コノテガシワの正体が早くから不明になっていたことです。その実体がはっきりしていれば、別の植物名に流用されるようなことはなかったはずです。

また、本来は葉の細い常緑樹を指す「柏」の字が、日本では古くから葉の広い落葉樹のカシワと取り違えられていたことも見逃せません。万葉集歌では「このてかしは」が「児手柏」と表記されていますが、その「柏」字は、本来の字義から見れば誤った使い方をしていたことになります。

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by YOSHIO_HAYASHI | 2006-07-22 11:09 | 言語・文化雑考
2006年 07月 21日
このてがしわ(児手柏) (11)
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昨日取り上げた『相模集』の歌を再録します。

ふたかたに 我がうぢがみを いのるかな このてかしはの ひらてたたきて

ここには、「ひらて」に二つの意味を持たせた掛詞(かけことば)の技法が用いられています。

その一つには「葉手(ひらで)」の意味があります。

「葉手」は、「枚手」「葉盤」などとも書かれますが、天皇の即位の際に行われる「大嘗会(だいじょうえ)」の時などに、食べ物を盛って神に供えるのに用いられる器の名前です。これは数枚のカシワ類の葉を並べ、竹のひごなどで刺して綴じ合わせ、円い皿の形に作ったものです。なおこの名称は、古く『古事記』や『日本書紀』に見られます。このように、カシワ類が食器として用いられたことはすでに触れたとおりです。

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by YOSHIO_HAYASHI | 2006-07-21 07:50 | 言語・文化雑考
2006年 07月 20日
このてがしわ(児手柏) (10)
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これまで述べてきたように、万葉集に詠まれた「児手柏」は、現在我々がコノテガシワと呼んでいる中国渡来の「側柏」とは異なるものと見るべきです。

「側柏」を「このてかしは」と読んだ例が見られるのは、この樹木が渡来したとされる江戸期以降のことで、それより古い文献の中に確かな例を得ることはできません。

また、万葉集以後の古歌に詠まれた「このてかしは」の中から、これは現在のヒノキ科に属するコノテガシワにあたる、ということが確実に言える例を探し出すのも困難なことです。

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by YOSHIO_HAYASHI | 2006-07-20 11:17 | 言語・文化雑考