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2010年 03月 21日
シタダミからフゲシへ -ツィッターの話題から- (7)
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元和三年古活字版『和名類聚抄』には、能登国の郡名「鳳至」に「不布志(ふふし)」の読みが施されているので、私は最初、このフフシが古い形であって、現在のフゲシはこれから転じたものと受けとめました。しかしよく考えてみると、この万葉仮名表記には、いささか不審なところがあります。

お手数ですが、この項の(2)に画像として掲げた「能登国」の記事をもう一度御覧ください。「鳳至」の次に「珠洲」の郡名があり、これに「須々」の付訓が見えますね。現在もそう呼ばれているように、これはスズの読みを示すものです。

ちなみにこの古辞書では、清濁の書き分けをせずにこのように同じ万葉仮名を用います(このことについてはまた別の問題がありますが、ここでは話の錯綜を避けて省略します)。

このスズが「須々」の形で表されているように、同じ仮名で書かれる読みを示す際には、「々」の記号を用いるか、あるいは直前のと同じ万葉仮名を用いるのがこの辞書の方針です。

例えば、漢字表記の同じ地名で、大隅国「桑原」の郡名に「波々(くはばら)」とあるのは前者の例であり、信濃国諏訪郡の「桑原」に「波波」の形で示されているのは後者の例にあたります。

この方針は徹底して守られており、同音節の連続する地名には、必ずどちらかの表記方式による読みが施されています。

ところが「鳳至」における「不布志」の読みには、同じフの連続に対して「不布」という異なる万葉仮名が使用されていて、他の多くの例とは異なる点に不審が残ります。 (この項続く)

今朝は当季の季語にあたる「春疾風(はるはやて)」が列島を吹き抜けていきました。皆さんのところには被害はありませんでしたか。

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# by YOSHIO_HAYASHI | 2010-03-21 06:34 | 言語・文化雑考
2010年 03月 20日
シタダミからフゲシへ -ツィッターの話題から- (6)
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そろそろ話を本題にもどすことにしましょう。

f0073935_6575984.jpg本居宣長に『地名字音転用例』という著作があります。前回まで取り上げたような、字音を転用した地名の例を丹念に集め、これを原理的に分類したもの。これは『本居宣長全集』第五巻(筑摩書房)などで読むことができますが、その中に問題の「鳳至」が「種(くさぐさ)ノ転用」例の一つとして取り上げられています。(左の画像参照)

ここに見るように、宣長は「能郡(=能登国の郡名)」の「鳳至」の読みを「不布志(ふふし)」とする文献に基づいて、この地名表記を、「鳳」の字音フウの韻尾ウをフフシの第二拍フを表すのに転用したものと見なしています。

しかし遺憾ながら、わずかこれだけの記述の中に、根本的な誤りが含まれています。

宣長が「鳳至」の読みを「不布志」としたのは、彼の使用したテキストが、すでにこの項の(2)で紹介した元和三年古活字版『和名類聚抄』であったことによるものと思われます。江戸期の他の多くの文人たちも、本書を参照する際にはこの流布版を使用しています。

ただし、この本文を全面的に信頼するのは危険です。これは他の文献についても同じ事が言えますが、後人の書写にかかる古文献には、必ずと言ってよいほど転写の間に生じた誤りが含まれているからです。

その例に漏れず、宣長が参照した版本の「能登国」の記事についても、写し誤りと見るべき箇所があり、そのことが彼の説に再検討を加える余地を残しています。以下、しばらくこの問題にお付き合い下さい。 (この項続く)


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# by YOSHIO_HAYASHI | 2010-03-20 06:38 | 言語・文化雑考
2010年 03月 19日
シタダミからフゲシへ -ツィッターの話題から- (5)
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三音節以上の地名を漢字二字で表すには、「尾張(をはり)」や「大隅(おほすみ)」などのように、漢字の訓読みを利用するのも一つの行き方ですが、これとは別に漢字の字音をさまざまに転用する方法も採用されています。

例えば「信濃」という国名の表記には、古くから口承されてきた /シナノ/ という"声"を /シナ/ と /ノ/ の二要素に分析した後、/シナ/ には「信」の字音 sin に母音 a を添える方式が、また/ノ/ に対しては、これとは逆に「濃」の字音 nou の韻尾 u を除く方式が採用されています。

なおここで銘記すべきは、/シナノ/ という音声が先行のものであって、「信濃」という文字は後から便宜的に宛てられたものであるという点です。/シナノ/がどういう語義を持つ地名であるかについては不明というほかありませんが、少なくとも「信」や「濃」という漢字にはそれを解く手がかりは含まれていない、ということだけは確かです。そしてこのことは、字音転用による地名表記全般について言えることです。

「上野国(かうづけのくに)」にはかつて「男信(なましな)」という郷名がありました。この /ナマシナ/ もまた /ナマ/ に「男」を、 /シナ/ に「信」をそれぞれ宛てることによって案出された字音による地名表記です。 /シナ/ に「信」を宛てたのは信濃の場合と同じですが/ナマ/ を「男」によって表したのは、この字音が当時 nan ではなく、中国原音に近い nam の形で受容されていたことを示すものです。

現代日本語には、朝鮮語に見られるようなこうした字音韻尾 -m と -n の区別はありません。しかし、古代日本語ではこの区別が学習的に守られていた、これはそのことを示す一例にあたるものです。 (この項続く)

コブシが満開の時期を迎えました。大樹を振り仰ぎながら、今年も命長らえて花の盛りに出会えた仕合わせをしみじみと味わいました。

今朝はもう一つの白い命にも。城尾ファミリーの一員に、ほんとに久しぶりに遭遇しました。君も無事に冬を越せてよかったね。

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# by YOSHIO_HAYASHI | 2010-03-19 07:14 | 言語・文化雑考
2010年 03月 18日
シタダミからフゲシへ -ツィッターの話題から- (4)
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国郡郷の名をそれぞれの音節数に関わりなく一律に漢字二文字で表すという課題は、一音節あるいは三音節以上の地名を持つ地方にとってはかなり厄介な要求です。

紀伊国(きのくに)という国名は、この地が森林資源の豊かなところから来た、《木の国》の意を表す名称であったとされます。この国では、その /キ/ という一音節地名を漢字二文字で表さなければなりません。

そこで考え出されたのは /キ/の音節に含まれる母音 /イ/ を引き延ばして /キイ/ という形を臨時にこしらえ、これに「紀伊」の漢字を当てるという妙案でした。この方法を適用すれば、一音節の地名であっても漢字二文字で表すことが可能になります。現在でも「紀伊国屋」という屋号がキイノクニヤではなくてノクニヤと読まれているのもこういう理由からですね。

備中国にあった都宇(つ)という郡名にもこれと同じ原理がはたらいています。この地名は港を意味する《津》から出たものと思われますが、これを二文字で表すために、/ツ/ の母音を引き延ばしてそれに「都宇」の二字を当てたものです。この地名は現在では「つう」と呼ばれていますが、それは漢字の「都宇」に引き寄せられたもので、本来は短く「つ」と発音されるはずの地名でした。 (この項続く)

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# by YOSHIO_HAYASHI | 2010-03-18 05:22 | 言語・文化雑考
2010年 03月 17日
シタダミからフゲシへ -ツィッターの話題から- (3)
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当面の「鳳至」の問題から、話が少し枝道に入ります。

日本の古い地名は漢字二字で表記されるのが通例です。これは、和銅六年(713)五月に、朝廷から「畿内七道諸国郡郷ノ名、好(よ)キ字ヲ著(つ)ケヨ」という布告が出され、それまでは恣意的な表記がなされていた国郡郷名を二字の「好字」で表記するという基本方針に則った改正が行われたことによるものです。

ただし、この事業はこの年に全国一斉に施行されたというわけではなく、その前後にかけてある程度時間をかけて行われたものと思われます。

例えば、現在の東京都と埼玉県の一部を含む地域には、古く无邪志(むざし)・胸刺(むさし/むなさし)・知々夫(ちちぶ)の三つの地方官が置かれていましたが、大化改新の後に一国となり、国名も「武蔵」に改められました。

この国名の漢字表記は、上記の地方官「无邪志」の名をもとに定められたものと思われます。すなわち、「无(ム)」を同音の「武(ム)」に置き換え、「邪(ザ)」にはこれと同じ頭音を持つ「蔵(ザウ)」を転用することによって、「武蔵」という"二字の好字"による国名表記が考案されました。その際に古い表記の「志」は、二字という制約のためにやむなく捨てられたのでしょう。「武蔵」の国は古くはムザシと呼ばれたのが、後にムサシと清音に替わったということにもなりますね。

このような地名表記の改正は全国各地で試みられたわけですが、そこにはさまざまな苦心の跡を見ることができます。 (この項続く)

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# by YOSHIO_HAYASHI | 2010-03-17 07:08 | 言語・文化雑考
2010年 03月 16日
最後のゼミ合宿から戻りました
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本年度で解散するゼミの一泊お別れ旅行が富士山中湖セミナーハウスで行われました。参加したゼミ学生は2年次生から4年次生まで合わせて13名。

山中湖周辺は先日降った雪がまだ残っており、強い風が湖面を渡って寒々とした早春の景観を見せていました。いつもなら湖畔に全貌を見せる富士山も、頂上が雲に覆われて姿を隠していましたが、夕闇が迫る時分の姿は墨絵のような景観を呈して、それはそれで一つの趣がありました。

予報では本日が雨ということでしたが、夜の間にかなり降った雨が、帰る時分にはすっかり上がり、異常なほどの暖かさでした。

30年近く、毎年欠かさずに実施してきたゼミ合宿ともこれを最後にお別れ。その間の数々の懐かしい思い出を温めながら、学生たちと別れて帰途に就きました。

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# by YOSHIO_HAYASHI | 2010-03-16 17:12 | ゼミ行事
2010年 03月 15日
シタダミからフゲシへ -ツィッターの話題から- (2)
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鳳至郡」が行政区画上の名称として歴史に姿を現すのは、大宝元年(701)に施行された大宝令に見えるのが最初。ただしこの時点では越前国に属したのが、養老二年(718)に越前国から分かれて能登国が生まれた際にその一郡となりました。

ところでこの「鳳至」は、前回記したように現在ではフゲシと称されていますが、古くからこのように呼ばれていたわけではありません 古辞書を調べてみると、この名称に関してはひとつの文献的問題が隠れていることに気付きました

次に掲げる画像は、承平四年(934)ごろに原本が成立した平安時代の古辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』、その二十巻本系に属する元和三年古活字版の巻五「国郡部」からのコピーです(勉誠社文庫23『倭名類聚抄』による)。
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ここに見える「能登国」の条には、この国についての概略とこれに属する四郡の名が示されています。その三番目に問題の「鳳至」の文字が見えますが、その読みを示す万葉仮名は「不布志」と記され、この辞書が編まれた当時はフフシの名で呼ばれていたらしい* ていることが知られます。

*【注】 このことについて、いささか疑わしい点のあることに気付きました。その問題は後で取り上げることにします。

ちなみに、この辞書の編者である源順(みなもとのしたがう)は、天元三年(980)に能登国の国守として赴任した人物。今回の記事にまつわる不思議な機縁を感じます。 (この項続く)

いよいよゼミのメンバーともお別れ。本日はその名残を惜しんで、このところ贔屓にしている富士山中湖セミナーハウスに一泊旅行に出かけてきます。それにつけても気になるのはお天気だけど、どうも明日は雨らしい。とうとう最後までわがゼミ旅行のお天気ジンクスは破れなかった・・・(泣&笑) ともあれ、行って参ります。

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# by YOSHIO_HAYASHI | 2010-03-15 05:33 | 言語・文化雑考