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2006年 05月 22日
じゃり(砂利) 再続
※この記事は、以前にアップした「じゃり(砂利) (7)」(2006/4/18)に続く「じゃり(砂利) (13)」(2006/4/24)を補訂するものです。

f0073935_11552.jpg延宝五年(1677)十一月に、俳諧師惟中(いちゅう)が大阪で刊行した『俳諧三部抄』の中に、「ざり」の語形を使用した例があり、その作者「風子」がどこの国の住人なのかということが、上記の記事を書いた時点では不明でした。

その後の調査によって、この人物の住国が判明しました。



『俳諧三部抄』に収められた句形と、作者の住国を記した「作者国分(くにわけ)」の該当箇所を次に引用します*


*(注)『近世文学未刊本叢書/談林俳諧篇』(養徳社<昭和23年>)本文による。

  (上巻・春部)            金万氏風子
          ざり砂や蒔繪に見ゆる松かさり


  (作者国分 付 句数)  伯州米子 金万風子   五

この記事によって、例句の作者「風子」は、伯州(=伯耆国。現在の島根県)米子(よなご)の住人であったことが判明しました。

そうすると、《砂利》の意を表す「ざり」は、この文献が刊行された延宝五年(1677)のころには、すでに江戸を遠く離れた伯耆地方でも使用されていたことになります。

これもすでに「じゃり(砂利) (14)」(2006/4/25)の記事の中で触れたように、元禄四年(1691)刊行の『猿蓑』に収める、伊賀上野の住人土芳の句にも「砂利」を用いた例がありますから、この時期にはもはや「ざり(じゃり)」は江戸の方言ではなく、日本各地で広く用いられる通用語になっていたものと考えられます。

*撮影機材:R-D1+NOKTON classic SC 40mm f1.4

by YOSHIO_HAYASHI | 2006-05-22 07:53 | 言語・文化雑考


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